古畑任三郎からの格言!Pert 1
こんにちは!
セルフです!★彡
本日も古畑任三郎からです。
しばらくこれでいくかもしれません。(それくらい好きなので少々お付き合いください)
古畑任三郎については、昨日のブログで概要を書いてますので、参照ください。
さて、本日紹介するお話はこちら。
『警部補 古畑任三郎 ~Season3 第5話「古い友人に会う(再会)」~』
こちらの作品、実はSeason3の最終回に持ってこようとしていた作品のようです。
あらすじとしては、古畑任三郎の小学校からの旧友の安斎亨(津川雅彦)が古畑を別荘に呼び出すところから始まります。
安斎は小説家であり、若い奥さんもおり、別荘もあり、とても充実した余生を送っているようでした。
しかし、そんな奥さんとの関係には裏があるようです。
実は、小説の編集者と奥さんはできていたです。それを知っている安斎は山の中で拳銃を取り出して…
次のシーンではもう古畑が別荘におり、まだ事件は起きていないようなのです。
とまぁ、古畑任三郎という作品をいくつかみたことがある人であれば、
この先の展開を予想してしまうのです。安斎は誰を殺すのか、なぜ古畑を呼んだのか、そこが視聴者への隠し事になっているわけです。
なので、古畑任三郎をあまり見たことがない人は見ることを勧めません。
まずは、ほかの作品をしっかり見て、シリーズの「お決まり」を知ったうえで見ることで、楽しさが倍増します。
※以降はネタバレを含む可能性がありますので、閲覧にご注意ください。
今回の名言は最後のシーン、古畑が安斎にかける言葉です。
このセリフは、まさか古畑で感動させられるとは。と思わざるを得ないものです。
結論から言うと、安斎は自殺を図ろうとしていました。
しかし、奥さんに疑惑がかかるようにいろんな画策をして自殺しようと思うわけです。
奥さんを直接殺すわけではなく、自分の人生の幕引きをして道連れ的に奥さんと浮気相手をつぶそうと思ったわけですね。
その目撃証人として刑事である古畑を呼んだわけです。
真意を見破られてもなお自殺しようとする安斎は、こう言います。
いずれ家内と若い愛人のことはマスコミが嗅ぎ付ける。この歳(50歳過ぎの設定)でスキャンダルはきつい。
マスコミはよってたかって俺を袋叩きにするだろう。もう耐えられん。恥辱にまみれた晩年を過ごすくらいで。
そういう安斎に古畑はこう答えます。
お察しします。
しかし。しかし、あなたは死ぬべきではない。たとえすべてを失ったとしても、我々は生き続けるべきです。私はこれまで強制的に死を選ばされてきた死体を数多く見てきました。彼らの無念な顔は忘れることはできません。彼らのためにも我々は生きなければならない。それが我々生きている人間の、義務です。
それでもなお、死を選ぼうとする安斎を説得する古畑はこう続けます。
よろしいですか。よろしいですか?
たとえ、たとえですね。明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?誰が決めたんですか?
まだまだこれからです。
その言葉に、安斎はついに折れ、「唯一良かったのは、お前(古畑)を呼んだことだ。」と言わしめます。
人生をやり直すのに年齢は関係あるのか?
スキャンダルは人生の終わりなのか?
生きることと死ぬこととは一体どういうことなのか?
田村正和さんの演技もほんとに最高で、何度見ても涙腺が緩みます。
自分自身まだまだ20代で、人生先が長いです。
たとえ明日死ぬとしても、まず生きることは絶対に手放さない。
こうやって好きなブログを書けていることにも感謝して、人生を謳歌していきたいと思います。
自分の人生は自分で決めた瞬間からスタートです。
まさか、古畑で感動させられるとは。